今後のスケジュール

<緊急のお知らせ>
新型コロナウイルス感染拡大防止と参加者の安全を考慮しまして、★10・11月度歴史散策会を中止いたします。 
また、公開講座会場管理者より会場内の<密接・密集>を避けるため収容定員半数以下での利用を要請されております。★11・12月度、2021年(令和3年)1・2月度公開講座については、参加者を「玉縄歴史の会」会員のみ・希望者事前募集(多数の場合は抽選)とさせていただきます。皆様のご理解をお願いいたします。
(会場定員規制(収容定員半数以下の利用制限)が継続中は会員のみの運営とさせていただきます。)
 
公開講座(定例勉強会)の開催について

★2021年 2月度 (第273回 公開講座) 「玉縄の廃寺について」<参加者:会員のみ・希望者事前募集(多数の場合は抽選)>
  日時:2021年(令和3年)2月7日(日)13:30 ~ 15:30
  会場:未定      
  講師:関 根   肇  氏(玉縄歴史の会 会長)
  講演概要:玉縄地域に残る廃寺の伝承がいくつかあり、廃寺となった寺院が四ケ寺、他所に遷座した寺院の旧蹟が二ケ寺ある。
       それら諸寺の来歴や今の姿を解説します。
★2021年 1月度 (第272回 公開講座) 「江の島の歴史(2)~江の島と後北条氏~」<参加者:会員のみ・希望者事前募集(多数の場合は抽選)>
  日時:2021年(令和3年)1月10日(日)13:30 ~ 15:30(※第2日曜日)
  会場:玉縄学習センター・第1集会室 (「玉縄行政センター」1階) 
<会場にご注意を!>       
  講師:伊 藤  一 美 氏(鎌倉考古学研究所役員)
      (※会場 「玉縄行政センター」:バス停「玉縄行政センター入口」から徒歩約5分、JR大船駅西口から(柏尾川沿い
       藤沢方向)徒歩約15分。)
★12月度 (第271回 公開講座) 「岩瀬村古文書から小名を調べる~相模国鎌倉郡岩瀬村小名~」<参加者:会員のみ・希望者事前募集(多数の場合は抽選)>
  日時:2020年(令和2年)12月6日(日)13:30 ~ 15:30
  会場:玉縄学習センター分室・第3集会室(たまなわ交流センター2階)
  講師:平 田  恵 美 氏(鎌倉市中央図書館近代資料室 玉縄歴史の会古文書の会講師)
     栗 田  洋 一 氏(玉縄歴史の会会員 古文書の会)

歴史散策会の開催について
★11月度 (第153回(仮の回数) 歴史散策会)「大山寺・大山阿夫利神社参拝」<中止>
   日時・集合場所:2020年(令和2年)11月11日(水)09:30 JR大船駅南改札・ルミネ入口前
  ※昼・要弁当  雨天時 11月19日(木)へ延期
  案内人:藤 田   武氏 中 止 (玉縄歴史の会 会員(世話人・歴史散策会担当))
  コース:JR大船駅 ⇔ JR藤沢駅・小田急線乗り換え ⇔ 小田急線・伊勢原駅(北口) ⇔ バス(4番) ⇔ 
      大山ケーブル行き(終点) ⇔ 徒歩 ⇔ 大山ケーブル(山麓駅)・乗車 ⇔大山寺駅下車・徒歩・・ 
      大山寺参拝  ⇔ 大山寺駅乗車 ⇔ 阿夫利神社駅(山上駅・終点)下車・徒歩 ⇔ 大山阿夫利神社・参拝  
         (※ 復路は大山寺駅で下車しない) 

     (※ 今回の歴史散策会は ★10月度(10/4(日)第275回(仮の回数)公開講座 「東大寺僧良弁と染谷時忠」 
                     (講師 藤田 武 氏)の関連企画です。また、★4月度の同歴史散策会が中止となったため振り替えて
                          開催するものです。) 
          <注> <歴史散策会の延期または中止の判断>
            歴史散策会当日の午前6時56分ごろからのNHK総合テレビ番組「おはよう日本~関東地方の気象情報」の中で、                           午前中雨天(傘マーク)予報の場合は延期または中止します。
          <注> <歴史散策会に関する問い合わせ先>
                                      玉縄歴史の会世話人(歴史散策会担当) 藤 田  武 080-1097-1897

<「公開講座」(定例勉強会)>

 

第270回 公開講座「江の島の歴史 (1)~中世の江の島信仰~」

2020年(令和2年)11月8日(日)  13:30~15:45
玉縄学習センター第1集会室(玉縄学習センター1階)
参加者:22名 (会員のみ)

講師:伊 藤  一 美 氏  (鎌倉考古学研究所 理事)      
(講師の著書紹介)
 本講座の始めに、司会者から講師の著書『江の島、神の島から人の島へ』(※1)の紹介があり、講師からも「講座内容は、この本に詳しく書いています」と説明がありました。
(信仰の島―江の島についての考察)
 講演に入り講師は「江島明神、岩本院(※2)は奈良時代に原形ができて、岩屋は信仰の場所となり、竹生島(滋賀県)、厳島(広島県)とともに日本三弁天とされた。当時のことを明確に証明することは難しいが、洞窟・岩屋に信仰の原点があったことが平安末期から鎌倉前期の当時の絵巻等から考察できる」と説明し本論に移りました。
講師は『吾妻鏡』(※3)、「江の島縁起」(※4)、『海道記』(※5)、『太平記』(※6)、「一遍上人聖絵伝」断簡(※7)等の史料を考証的に研究され、記述内容の歴史的背景を「江の島明神と鎌倉幕府」、「『江の島縁起』の世界」、「中世鎌倉人の見た江の島」の視点で、鎌倉から室町時代をベースに「江の島の性格・内容」の変化を考察、講演しました(※8)。
■「江の島明神と鎌倉幕府」の項では、『吾妻鏡』の記述(寿永元年(1182)4月5日の条)は、「江の島」が明確に歴史に位置付けられた最初であるが、「江の島神明」の起源が 源頼朝の発願・文覚上人が「大弁才天」を勧請したとの記述は事実とは異なり、編者が「江島神明」の伝承を元に、後に幕府公認の霊所へ導くために書いと考えられる(※9)。その後、鎌倉幕府が江の島に「明神」が存在し、霊験あらたかな幕府公認「霊地」とし、頼朝政権にとって大事な神社と位置付けられた。また、「龍穴」は「霊所」つまり「清め祓う地」へ転換した。「七瀬祓い」(※10)との関わりがその変容過程を示し、次第に鶴が岡八幡宮の所管(祈祷所)に移っていった。
■「『江の島縁起』の世界」の項では、縁起記述の内容・物語を解説し、特に江嶋神社蔵・「江嶋縁起」(真名本)と金沢文庫蔵「相州津村江之島縁起」とを比較して記載順の違い、編成のあり方。
■「中世鎌倉人の見た江の島」の項では、江の島を訪れた中世人たちの記録を考察し、『海道記』作者が「「江尻大明神」には法師が参詣しない」話に疑問をもったことから、当時江の島では神官と法師の対立があったのだろうということや、また、当時京都にも「江の島縁起」が知られていたことが分かる。室町時代には、江の島が都人の観光地となっていた。「一遍上人聖絵伝」断簡の絵から、上人が来島し多くの人たちが集まり干潮時の砂州を片瀬から島へ歩いて渡っている様子等は、当時の片瀬と江の島地域の様相を知ることができる貴重な絵であると評価した。
以上、3点について詳しく解説しました。
(最後に)
講師は「次回は「江の島と後北条氏」のテーマで話します。江の島は玉縄城の領域であり、信仰との関わりが大事なテーマです。」と玉縄歴史の会への助言を残してくださいました。
(参考1)本講座は講師・伊藤一美氏の「江の島の歴史」2回シリーズの1回目。(2回目は、2021年(令和3)年1月10日(日)開催 第272回公開講座「江の島の歴史(2)~江の島と後北条氏~」) 
(参考2) 公開講座配付資料 「江の島の歴史(1)~中世の江の島信仰~」 A4判 7頁
(参考3) ◆(※1)①『藤沢市ブックレット10 江の島、神の島から人の島へ』伊藤一美著 2019年3月、藤沢市文書館(もんじょかん)発行(以後、著書という)。閲覧・購入(800円・税込み)は藤沢市本庁舎4階市民相談情報課・藤沢市文書館で、閲覧は全藤沢市図書館・市民図書室でできる。② 著者(講師)は著書の「はじめに」と「あとがき」に、自宅から見える「江の島」について「「弁才天」の座す信仰の島であった。今は・・・夜に新たなシーキャンドル(展望灯台)として観光客の目指すスポットとなり、2020年(2021年に延期)には東京オリンピックのヨットセーリング会場として世界の目が再び集まる場所となった。神が創り、そして人の島となった、特別の意味をもつ島であると感じた。観光地で賑わう江の島の歴史を人々の目線から見てみたい」と「江の島」を研究対象とした動機を著述している。◆(※2)現在の「岩本楼」。中世には弁才天を本尊とした「岩屋本宮」があり、岩本坊別当寺が管理に当たっていた。「岩本坊」は「岩屋本宮」及び弁才天の御旅所であった「奥津宮」の別当寺で、江戸時代に院号使用を許され、「岩本院」と称し、江の島全体の総別当であった(岩本楼前案内)。◆(※3)鎌倉幕府の創始期から中期までの事績を、幕府自身で編纂した歴史書。記事は治承4年(1180)に始まり、文永3年(1266)までの編年体(『国史大辞典1』昭和54年・吉川弘文館)。◆(※4)①「江の島縁起」は江の島の創生、江の島神社の創始、信仰の中心である弁才天の霊験を説いた物語である(石塚勝執筆~『歴史をひもとく藤沢の資料・3片瀬地区』2018年、藤沢市文書館発行)。②現存は4つの縁起。・江嶋神社蔵「江嶋縁起」(真名本)、・金沢文庫蔵「相州津村江之島縁起」、江嶋縁起―岩本院本、・江島神社絵巻(岩屋内案内板)。◆(※5)鎌倉時代の京都・鎌倉間の紀行(貞応2年(1223)成立)。一冊。作者不明。(『國史大辞典3』昭和58年)◆(※6)南北朝内乱期を描いた軍記物語。40巻。作者は不明(『國史大辞典8』昭和62年)。◆(※7)時宗の開祖一遍の伝記絵巻。断簡は諸家に分蔵されたもの。その巻六の一段(特別展図録「国宝一遍聖絵(遊行寺宝物館他2015)(著書本文33頁、『国史大辞典1』)。◆(※8)「・・・伝承残す「縁起」とその源流がいつごろまで遡れるかを書誌学的に考えるのも小著の目標である」(著書「はじめに」)。◆(※9)「歴史上最初の史料に対しては、なぜこう書かれているのか、歴史的背景を究めることが大事である」(講座・講師)。◆(※10)京都での天皇みずからの祓いの儀式を取り入れたもので、陰陽師の祈祷、鎌倉地域の境とされる霊所・「由比浜」「金洗沢」「固瀬河」「六連(浦)」「鼬河」「杜戸」「江嶋龍穴」の七瀬(講師・講座資料3頁)。
 

第269回 公開講座「東大寺良弁僧正と染谷(屋)太郎太夫時忠」

2020年(令和2年)10月4日(日)  13:30~15:45
玉縄学習センター分室・第3集会室(たまなわ交流センター2階)
参加者:24名 (会員のみ)

講師:藤 田  武 氏  (玉縄歴史の会 世話人)      
 講師は始めに、「相模国の長者伝説で知られる染谷(屋)太郎太夫時忠が、東大寺初代別当(※1)として同寺の創建に尽力し南都仏教界・奈良仏教史上偉大な足跡を残したにもかかわらず、前半生が謎のベールに包まれている良弁(ろうべん)僧正(689―773)の父親であると記述する「大山縁起」(※2)に興味を抱き、研究を深めた。僧正の生国は有力な諸説はあるが、相模説は単に伝説ではなく学問的論拠があり、時忠が実在の人間であろう、こういう考えもあってもいいだろうと確信するまでになった」と話し、続いてその論拠を説明しました。
★東大寺伝によれば「僧正者(は)相模国人漆部氏・・・・」と相模生国と記述されている。(※3)
★歴史研究家の松本信道氏は「「大山縁起」は成立以前に実在人物の原像があり、そのイメージが拡大投影されて形成された。同縁起に見える時忠は『続日本紀』にしばしば登場する相模国国造である漆部直伊波(ぬりべのあたいいわ)と同一人物であると考える」(※4)と論じ、また同研究家の筒井英俊氏は「良弁僧正と伊波とは血縁であると考える。僧正の生国は相模説が正しいし、伊波が相模国造(※5)に補せられたことから推して僧正の家は相当な豪族であった事と思う」(※6)と著している。
★伊波が「相模国国造」に任命されたことについて、当時、国造はその国の出身者が就任する厳格な慣例があり、栄原永遠男氏は「漆部直伊波が相模出身であることは、ほとんど確実である」と指摘している。(※7)
★伊波は東国(相模)と難波津間の東西遠距離交易(※8)を行い、難波津と平城京の東市に自領をもっている。平城京には相模国調邸(※9)を難波津には東大寺領がある。伊波は東大寺建立に際し商布二万端を寄進(※10)、また東大寺の平城京東市領地取得時に斡旋するなど東大寺と密接な関係にあった(※11)。
★時忠の伝承が鎌倉郡に多く、鎌倉長谷や大船、本郷台などが時忠の領地であったと推察され、特にこの地域は製鉄関連地名があるように、時忠は初期には製鉄事業により財を成したと考えられる。

まとめとして、伊波(歴史上の人物)と時忠(伝説上の人物)は同一人物である。良弁と伊波(時忠)は年齢差から親子ではなく(※12)、血縁関係であったろうと、強く確信するに至ったと結びました。
(参考1)本講座開始前に、公開講座を再開するにあたり、玉縄歴史の会会長・関根 肇氏があいさつを行いました。
(参考2)公開講座配布資料 「良弁僧正と染谷太郎太夫時忠」 A4判 18ページ(9枚)
(参考3)■(※1)諸大寺院に置かれた寺務統括の僧官。良弁の東大寺別当就任がわが国で最初。(『日本史辞典』角川書点)■(※2)「良弁者(は)相模国鎌倉郡由伊(井・比)郷人也(なり)。俗姓漆部氏。当国良将漆屋太郎太夫時忠子也(なり)」■(※3)東大寺要録―本願章 ■(※4)「・・・実在人物として相模国国造(律令国造)の現像が縁起成立以前に存在したことから、その原像のイメージが拡大投影されて形成されたものが「大山縁起」に見える「染谷太郎太夫時忠」にほかならないと考える。つまり「「染谷太郎太夫時忠」は『続日本紀』に・・・・・・と考える」(松本信道著「漆部直伊波と染谷時忠」(『秦野市研究』第2号
(1982)所収) ■(※5)律令体制成立後の国造を「律令国造」などと呼称され、「神祇祭祀」と征軍に随行する神部的任務があった。(原秀三郎氏)■(※6)筒井英俊著「良辨僧正と漆部氏」(『南都仏教』創刊号(1955)所収)■(※7)栄原永遠男著「日本古代遠距離交易について」(『古代国家の形成と展開』大阪歴史学会編(1976)所収)■(※8)畿内主要部と畿外とりわけ三関(愛発、不破、鈴鹿)以東、摂津より東とを結ぶ交易をいう。(配付資料) ■(※9)相模国から運京されてきた調(諸物産を朝廷に貢進する税の一種)を取り扱う施設。■(※10)商布:古代の布の一種。調庸品目の代物として貢納、交易の対象とされることが多かった。段(たん)を単位として用い、一段は二丈六尺(約7.8m)であった。寄進:「東大寺要禄―造寺材木知識記」(配付資料)■(※11)考古学者・森浩一氏の論(「政商・漆部伊波のこと」(『関東学をひらく』(2001)所収) ■(※12)伊波が相模国造に就任した768年は、良弁は79歳であり、親子とは説明が困難である。

 
 

第268回 公開講座「大磯・高麗寺(こうらいじ)と高麗寺村の歴史」

2020年(令和2年)3月1日(日)  13:30~15:30 
         NPOセンター大船・会議室(たまなわ交流センター1階)
参加者:23名 (会員  20名 一般 3名)

講師:富 田  三沙子 氏  (大磯町郷土資料館 学芸員)      
 講師は始めに、「高麗寺は大磯宿の東隣りに立つ昔から山岳信仰の対象とされた高麗(こま)山麓にあり、その周囲の寺領が高麗寺村でした。」と、更に「寺領が一つの村を形成した珍しさと、領主が同じ地域に居る為、大名や旗本と違う独自の支配体制が作られた特色がある。」と主に江戸時代の高麗寺と高麗寺村の歴史を講演されました。★高麗寺は高麗権現社(現在の高来神社)の別当寺(※1)であり、江戸時代に徳川家康から朱印地(※1)として100石の土地が与えられ上野・寛永寺末寺の高い寺格を有した。★寛政12(1800)年に「大磯宿の一部」とされていた寺領の村独立が認められ高麗寺が領主の高麗寺村が成立した。★史料が無く歴代住職に関し分からないが、41世慧歓(えいかん)(天明5(1785)年在職)だけが①自坊修復②寺領整理③本堂再建の寺改革記録「銘細帳控」を遺し、苦しい時代に寺を再興するような働き振りが分かる。★高麗寺は明治政府の神仏分離政策により廃寺となり、仏具類は慶覚院に継承された。 

(参考1)~ ■公開講座配付資料・・・・A4判2枚 A3判4枚  ■ 映像資料(DVD~江戸時代の絵図や古文書史料等)
(参考2)~ ■(※1) 神宮寺の一種で、読経や祭祀・加持祈祷とともに神社の経営管理を行った寺院のこと。■(※2)将軍が発給した朱印状によって年貢が免除されたり、その領有が認められた寺院や神社の土地 (※1,2・・・・『大磯町史』6 通史編)

    

 
 
 

第267回 公開講座「武士(もののふ)たちの精神的砦 鶴岡八幡宮寺」

2020年(令和2年)2月2日(日)  13:30~15:45 
         玉縄学習センター分室・第三集会室(たまなわ交流センター2階)
参加者:47名 (会員  27名 一般 20名)

講師:児 島    晃 氏  (鎌倉歴史フォーラム主宰)      
 講師は始めに、「鶴岡八幡宮は1868年の神仏分離令までは鶴岡八幡宮寺といい、境内に鐘楼、薬師堂等が建つ宮寺でした」と説明して本論に入り、九州宇佐(※1)の一地方神から武神と崇められ、源氏の守護神として源頼朝が篤い信仰を寄せ、鎌倉幕府創建に決起した武士たちの精神的砦ともなった八幡神の来歴と役割を講演された。◆八幡信仰の発生と国家神へ~朝鮮から九州宇佐に渡来した辛嶋氏・八幡神と、地元の宇佐氏・宇佐神を融合して日本の神・八幡神が生まれた。ヤマト政権の反乱軍制圧や聖武天皇の奈良・大仏造営に鋳造技術等で援助の貢献が大きく、天皇が認める国家神へ発展した。◆鶴岡八幡宮寺の造営~1063年、源頼義が石清水八幡宮から勧請した(※2)のが始まりで、1191年に源頼朝が現在の地に上下両宮の鶴岡八幡宮寺を建立した(※3)。◆鎌倉幕府と八幡大菩薩~頼朝は八幡大菩薩に心から帰依し最大の精神的拠り所として、鶴岡八幡宮寺を拠点にした政治、まちづくりを行った。

(参考1)~公開講座資料・・・「武士(もののふ)たちの精神的砦 鶴岡八幡宮寺」  (A4判 3枚)
(参考2)~■(※1)現在の大分県宇佐市 ■(※2)旧跡は現在の鎌倉市材木座にある元八幡宮といわれる■(※3)1191年3月に火災で社殿が焼失、頼朝が新たに石清水八幡宮(現在の京都府八幡市)から勧請し、現在の本宮(上宮)と若宮(下宮)の形に建立したのが1191年11月21日のこと。以来、鶴岡八幡宮寺ではこの日を御鎮座日とした。現在は太陽暦の12月16日に御鎮座記念祭が行れる。(『社寺縁起伝説辞典』 戎光祥出版)

 
   

<「歴史散策会」> 

 

第147回「長福寺参詣と篠原城址の見学」

2019年(令和元年)11月13日(水)09:30 JR大船駅南改札ルミネ入り口前 集合
参加者:16名(会員15名 一般1名 )

案内人:篠原城と緑を守る会
    〇事務局 長福寺住職九世 村 上 宥 真 師  〇会員 金 井 俊 博 氏と4名の方

コース:JR大船駅 → JR横浜駅(横浜線へ乗り換え) → JR菊名駅・降車 (徒歩) → 長福寺参詣 →  篠原城址見学 → (徒歩) → JR新横浜駅篠原口近くで解散 (12:16) 

 

  
 

第146回「甲斐路を訪ねるバスツアー」(玉縄歴史の会第8回バス旅行)」

2019年(令和元年)10月16日(水) 07:15 大船駅西口 大観ビル前集合
参加者:47名(会員21名 一般26名)

案内人:大竹 正芳氏(日本画家 日本城郭史学会委員) 
コース:大船・大観ビル前出発(07:20) → 圏央道・東名・中井PA(休憩) → 中央自動車道富士河口湖 → 須玉IC → 若神子城跡(須玉ふるさと公園)見学(11:10~12:35) → 昼食 (笹子茶屋・ほうとう料理) → 甲斐善光寺参拝(日本最古・源頼朝公木像、秘仏「峯薬師」等を拝観(14:05 ~14:50)) → 観光ぶどう園・ぶどう狩り → シャトー勝沼(試飲等) → 帰途 (17:00出発 往路と同じ道路) → 大船・大観ビル前着・解散(19:50)

  
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第145回「寒川神社参拝・宝物館見学と大(応)神塚めぐり」

2019年(令和元年)9月25日(水) 09:20 JR大船駅南改札前 集合
参加者:14 名  (会員のみ )

案内人:玉縄歴史の会世話人(散策会担当)~清 田 光 治 氏・藤 田 武 氏
コース:JR大船駅 →(茅ヶ崎駅)→JR寒川駅~(徒歩)→ 安楽寺・大(応)神塚→ 寒川神社(祈祷)・神嶽山神苑(方徳資料館 )→ 同神社売店前(12:45解散)

 

 

  

2020(令和2)年度「玉縄歴史の会」定時総会

2020年(令和2年)1月12日(日)  13:30~15:56 
         玉縄学習センター分室・第三集会室(たまなわ交流センター2階)
出席者:会員 33名

(定時総会)      
 定時総会は、関根肇会長挨拶、議長選出に続き報告・提起された、2019(平成31・令和元)年度事業報告、同会計報告、同会計監査報告、会則の一部改定、選出・退任世話人の報告、2020(令和2)年度事業計画について審議が行われた。その結果、全議案とも全会一致で承認され定時総会は終了した。
(参考) 配付資料 ~ 令和二年度「玉縄歴史の会」総会  (A4判4枚)

 

第266回 公開講座「藤沢・村岡地域の伝承と伝説」

2020年(令和2年)1月 12日(日)  14:04~15:30 
         玉縄学習センター分室・第三集会室(たまなわ交流センター2階)
参加者:43名 (会員  33名 一般 10名)

講師:椎 野 忠雄 氏 (玉縄歴史の会 会員)      
 講師は始めに、「藤沢・村岡地域」の範囲(※1)を地図で示し、玉縄地域(鎌倉市)から通じる二つの旧道がある隣接地域で、戦国時代には共に玉縄城(鎌倉市城廻ほか)の領域に属し、同じ城主の治政下にあったため「お互い親戚のようなものでした」と説明しました。また、両地域は柏尾川流域に低地(耕地)が、河川の北方(北西)は丘陵と谷戸が重なり合っていて地形が似ているところもあるが、村岡地域には長い歴史の中で独自に生まれ語り継がれてきた伝承・伝説がある。講師は、その中から諸文献に広く記述されている主なものを紹介しました
◆平良文(たいらのよしふみ)(村岡五郎)伝説~土着地に関し諸説(※2)あるが、「良文は①藤沢市の村岡を根拠地とした豪族 ②天慶三年(940)京都から「上御霊神社」を勧請した(宮前御霊神社)(※3)、同年藤沢・村岡に居館を構えて、都に帰らず・・・」と藤沢・村岡に居住したと広められた伝説
◆宮前御霊神社と鎌倉権五郎景正伝説~後三年の役武勇伝等
◆徳川家康と峯渡内村名主福原家の関係~梅干しの献上。「相中留恩記略(そうちゅうりゅうおんきりやく)」(※4)の編纂
◆村の生活の様子~江戸時代の重い年貢と助郷(※5)に苦しむ村人
◆その他、雨乞い祈祷や村岡地域寺社にまつわる伝承・伝説など。

(参考1)~公開講座資料・・・A4判3枚(本資料)、A4判2枚とA3判1枚(添付資料)
(参考2)~■(※1)・・・ (※1)現在の藤沢市川名、宮前、小塚、高谷、弥勒寺、渡内1~3丁目、柄沢、川名1~2丁目、片瀬山1丁目、村岡東1~4丁目、弥勒寺1~4丁目、大鋸1丁目、藤が岡2~3丁目(各地域のすべて、または1部)。(『藤沢の地名』日本地名研究所編 平成9年藤沢市発行)
■(※2)・・・平良文が土着し名乗りとした「村岡」については、相模国鎌倉郡の藤沢市村岡説、武蔵国大里郡の埼玉県熊谷市村岡説、下総国岡田郡の茨城県下妻市村岡説の三説があり熊谷市村岡説が有力視されている。(※3)・・・宮前御霊神社縁起研究から近世後期に平良文が勧請したと記載内容を変化整理されたと考えられる。((※2)(※3)・・『歴史をひもとく藤沢の資料 2村岡(むらおか)地区』 石塚 勝氏執筆 2017年藤沢市文書館発行) ■(※4)・・・峯渡内村の名主福原左平太高峰(1792~1868)が徳川家康の恩顧に報いるため編纂した相模国内の地誌。完成後、幕府に献上。(前掲「歴史をひもとく・・・・」)■(※5)・・・江戸時代、宿駅の人馬が不足したとき、これを負担するようきめられた宿駅近くの村。またその課役・制度。(『学研 国語大辞典』学習研究社発行)

  

 

第265回 公開講座「栗田家文書『御鷹御用留』を読む」

2019年(令和元年)12月 1日(日)  13:30~15:40 
         NPOセンター大船・会議室(たまなわ交流センター1階)
参加者:33名 (会員  25名 一般 8名)

講師:平 田 恵 美 氏 (鎌倉市中央図書館近代史資料室、玉縄歴史の会・古文書の会講師)
      発表者 ~ 玉縄歴史の会 会員  岩 間 勝 之 氏 ・ 小 坂 勝 代 氏 

 講師は始めに、「栗田家文書『御鷹御用留』」について、「栗田家(鎌倉市岩瀬)が保管している未公開の古文書であり、栗田家から提供を受けて現在玉縄歴史の会・古文書の会で解読・学習、詳細な分析を行っている」と説明した。更に、「■ 相模国が江戸時代の鷹狩の御捉飼場(おとらえかいば)(※1)の域内に入り、鎌倉郡岩瀬村の栗田源左衛門が安政7年(1860年)3月に前任者を継いで有力農民などが任ぜられた野廻り役(※2)に就いた。■ 同御用留(※3)は同人が元治元年(1864年)8月まで54案件を書き留め、内容や形式により「廻状」(※4)や書付(※5)等に分類でき、野廻り役の役割・仕事、村人に課せられた負担等が分かる。■ 栗田源左衛門は原町田や雑司ヶ谷まで赴き案件を処理しており、当時45歳を過ぎていて幕府の権威の象徴であった鷹狩組織の中で激務だったのではと読み取れる」等と解説した。
◆ 岩間氏は、「御鷹御用留」を深く理解するため江戸時代の鷹狩の歴史、目的、組織等を詳細に興味深く説明した。
◆ 小坂氏は、御用留特有のサラサラとした書き方、虫食いやシミ等で判読が難しい原文をゆっくり、分かり易く解読した。
講師は最後に「この御用留は江戸時代幕末期の地味な古文書ですが関心を持って読んでください」と語りました。

<参考1> ★(※1)将軍の鷹狩場の外側にある鷹匠が鷹を調教する場所で、普段は野廻り役が管理した。★(※2)御捉飼場を巡回し治安維持・管理等の広範囲の役割を有した。★(※3)江戸時代の村役人が領主から下達された触書、廻状を控え記録した帳簿。★(※4)同一の文書を数人の受取者に回覧の方法で送る文書。★(※5)注進内容等を書き記した文書で「書付を以て・・・」と標題を付す。
<参考2> 配付資料~「江戸時代の鷹狩と野廻り役栗田源左衛門」(A3判-11枚)

 
公開講座講師
公開講座・風景
発表者・岩間氏
発表者・小坂氏
 
 

第264回 公開講座「玉縄北条氏を嗣(つ)いだ氏重と上嶽寺の文化財」

2019年(令和元年)11月10日(日)13:30~15:30 
          玉縄学習センター分室・第3集会室  (たまなわ交流センター2階)
参加者:31名 (会員 25名、 一般 6名)

講師:外 山  信 司 氏  (千葉市立郷土博物館)
        特別参加 ~ 北条氏勝菩提寺・寶金剛寺(佐倉市)住職  京 極 勇 豪 師
講師ははじめに、「北条氏重(保科正直・四男)は、小田原合戦を境に中世の戦国武将から近世大名として生きた玉縄北条氏六代・氏勝の養子となり遺領を嗣いだ玉縄北条氏最後の当主である。玉縄北条氏は氏勝の代で絶えたのでなく氏重へと続いた。」と玉縄北条氏の歩みを語った。更に氏重が氏勝の孫娘を妻に迎えたことを「北条家」と妻の「杉原家」の系図を辿って明らかにし、氏重の玉縄北条氏当主の立場を裏付けるものであると正統性を強調した。また、玉縄北条氏当主を物語る数々の事蹟、遺品や文化財を紹介したが、特に氏重が城主であった久野城(袋井市)、掛川城(掛川市)の玉縄北条氏家紋「三鱗紋」軒瓦、菩提寺の上嶽寺(袋井市)所蔵の「北条氏重肖像画」 (賛付)、「北条氏重木像」、「北条氏重と夫人の位牌」、「玉縄北条一族の位牌」、「氏重の側室の位牌」などの貴重な遺品類を配付資料と映像を用いて内容や史料としての評価などを詳細に説明した。講師は最後に、「玉縄北条氏を介して鎌倉を中心に袋井・掛川と佐倉との交流をしていただき、結び付きが深まることを希望します。」と話された。尚、当講座に北条氏勝菩提寺・寶金剛寺(佐倉市)住職 京極勇豪師が講師と同行して特別に参加して、下記の会場展示資料を提供された。
(参考)
◆ 配付資料 ~ 「玉縄北条氏を嗣いだ氏重と上嶽寺の文化財」 (A3-4枚(両面刷り)
◆ 映像資料 (パワーポイント) 全 60 枚の写真
◆ 会場展示資料 (寶金剛寺住職 京極勇豪師 提供)
①玉縄北条氏旗 (複製幟旗・「黄八幡」、「江戸時代の玉縄北条氏軍旗」)
②最近発見された極めて貴重な「北条氏繁位牌」(同時に氏繁の室・七曲殿の位牌も発見されたが、損耗が激しく持参されなかった。)
③北条氏重葬列図巻物

 

 
 

第263回 公開講座「にらみ合った小田原北条氏と徳川家康

2019年(令和元年)10月6日(日)13:30~15:32 
         NPOセンター大船・会議室(たまなわ交流センター1階)
参加者:35名 (会員  24名、 一般 11名)

講師:大 竹 正 芳 氏 (日本画家 日本城郭史学会委員)
 講師は、当会企画10月16日(水)の第146回歴史散策会「甲斐路を訪ねるバスツアー」(第8回バス旅行)の案内人を務めることから、見学地「若神子(わかみこ)城址」(北杜市須玉町)と「甲斐善光寺・宝物館」(甲府市善光寺)の事前学習を兼ねた講演を行いました。
◆「若神子城(祉)」は、天正10年武田氏滅亡後、無秩序状態化した旧武田領を巡り小田原北条・五代氏直軍が本陣として徳川家康軍と対陣した城である。北条氏軍勢有利であったが離反者が続出、両軍勝敗がつかない儘に和解し同盟関係を結んだ(天正壬午の乱)。沼田領を巡る領地分け問題が北条氏と真田氏の対立を深め、8年後の小田原北条氏滅亡への遠因となり、戦国大名の最後を象徴する合戦であったと述べた。講師作成の現在の城址図面と見学要点も説明した。
◆「甲斐善光寺・宝物館」の歴史や本尊について説明した。また甲府開府500年記念特別公開・秘仏「峯薬師」と頼朝像最古とされる「木造源頼朝坐像」が見学の目玉であると解説した。

(参考)
配付資料 「にらみ合った小田原北条氏と徳川家康」([甲斐善光寺]資料付)(A4―4枚(4頁)


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第262回 公開講座「一遍上人と遊行寺(ゆぎょうじ)

2019年(令和元年)9月1日(日)13:30~15:45 
           玉縄学習センター分室(たまなわ交流センター2階)
参加者:56名 (会員 31名、 一般 25名)

講師:石 塚   勝 氏 (関東学院大学講師)
 講師は、時宗の二祖上人と尊称される真教(しんきょう)の七百年御遠忌を記念して、今月から遊行寺宝物館、神奈川県立歴史博物館において開催される特別展「真教と時衆」の前に同展に関連すること、全国にあまねく念仏を広めるために時衆(じしゅう―念仏の僧尼)を引き連れ、念仏と賦算(ふさん―念仏札の配付)を行い、一所不住の諸国遊行(ゆぎょう)を続けた時宗の宗祖一遍、一遍の後継者真教、一遍の孫弟子で清浄光院(しょうじょうこういん―遊行寺の前身)の開創者呑海(どんかい)らの生涯、事績等を辿り時宗・遊行寺の歴史を詳しく講義しました。
◆ 一遍は「我化道(けどう)は一期(いちご)はかりそ」(私が念仏して、みなに布教するのは私が生きている間だけのことだ)と開宗の意思はなかったが没後、時宗宗祖とされた。
◆ 他阿弥陀仏(たあみだぶつ)真教は時衆をまとめ、時宗教団の基礎を築き体制を創始した事実上の教団祖である。
◆ 呑海は遊行上人引退後遊行寺に留まり(独住(どくじゅう))藤沢上人(とうたくしょうにん―遊行寺住職)1世に。以後、同寺最大の特徴である遊行上人譲位後藤沢上人に就き、遊行・藤沢上人が並立して時衆統括を行った。
◆ 1633年遊行寺が江戸幕府から時宗総本山に位置付けられ、時宗が宗派として確立した。
                                               
参考 <1> 配付資料「一遍上人と遊行寺」・A3判(3枚・6頁付与)
   <2> 特別展「真教と時衆」
    ① 遊行寺宝物館(遊行寺・(電)0466-22-2063) 9月7日(土)~11月10日(日)
    ② 神奈川県立歴史博物館((電)045-201-0926)10月5日(土)~11月10日(日)

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第261回講座「小田原合戦記~読本『小田原状』を読む」

2019年(令和元年)8月4日(日)13:30~15:55 
                  NPOセンター大船・会議室(玉縄交流センター1階)
参加者:41名 (会員 26名、 一般 15名)

講師:伊 藤 一 美 氏 (鎌倉考古学研究所 理事)
講師は、小田原北条氏の最後、小田原合戦の様子を、徳川軍で小田原城の接収役・榊原康政が加藤清正へ宛てた書状「小田原状」全文を詳しく解釈し読み進めた
① 講座の写本は、手紙形式の往来物と称し、裏表紙等の記述、本文文字が大きいことから明治5年貞宗寺に併設された学校の教科書・習字の手習い本でもあったと分かる。
② 小田原城内や周囲の町の様子等の記述箇所は、言葉、言い回しが「北条五代記」(巻9、10)に似ており徳川方から見た北条氏一族滅亡に至る簡便な歴史書とは言え、信ずるに足る読本である。等と分析した。“玉縄城明け渡し”箇所では、「北条氏勝は住民に厚い思いを向け、住民の安全を取り付けた城主であった。誇ってよい」との見解を紹介した。最後に「『小田原状』は一回読めば小田原合戦の様子が分かり、正に玉縄城膝元の学校で使用する社会科の教科書に適し、思いを込めて読まれたと思う」と結びました。
 参考
  <1> 配付資料「小田原合戦記 ***往来物『小田原状』を読む***」・A4判6頁)
  <2> 『北条五代記』所収書籍『通俗日本全史15巻』は鎌倉市中央図書館にて閲覧、借受け可能です。
  

 

公開講座・風景
公開講座・風景
 
  

第260回 公開講座「玉縄とその近郊の庚申塔を訪ねて

2019年(令和元年)7月7日(日)13:30~15:40 玉縄学習センター分室・第3集会室
参加者:36名 (会員 25名、 一般 11名)

講師:鷹 取  昭 氏 (藤沢地名の会  日本石仏協会会員)
 講師は、はじめに、自ら神奈川県内の6000基を超える庚申塔の所在調査を行い、『神奈川の庚申塔事典』(鎌倉市中央図書館にて閲覧可)として著したことを紹介した。
講座は、その調査研究の成果を画像化した資料を用いて、<庚申の意義><庚申信仰の歴史と現状><玉縄城下の庚申塔><鎌倉・藤沢の庚申塔><青面金剛のいわれ><さまざまの主尊><ユーモラスな眷属(猿、蛇・龍)>等について解説した。
特に、◆ 玉縄城下(玉縄地域)は植木・龍寶寺境内設置(3基)ほか10か所設置の庚申塔   
◆ それ以外の鎌倉・藤沢市内では坂ノ下・五霊神社石仏群のほか21か所設置の庚申塔 
等について設置場所、造立時期、特徴(猿の姿態)、 その他を詳しく説明した。
 最後に、「散歩しながら庚申塔を探しましょう」と庚申塔へ関心を持って欲しいことも述べました。

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第259回 公開講座  「富士山宝永大噴火~被災状況と復旧への長い道のり~」

2019年(令和元年)6月2日(日) 13:30~15:40 玉縄学習センター分室・第3集会室
参加者:27名 (会員 20名、 一般 7名)

講師:天 野 賢 一 氏 (公益財団法人 かながわ考古学財団)
 講師は、冒頭、「富士山の宝永大噴火の痕跡を把握・分析することは将来の防災、減災に役立てる狙いがある」と前置きし、古文書や絵図等に記録されている噴火時の降灰や被害状況、苦難の復旧活動等と、それらが実証された横野山王原遺跡(秦野市)の発掘調査結果を映像や資料で解説した。特に、、
  〇 当時「砂降り」と呼ばれた火山灰により、現在の静岡県東部から神奈川県にかけて、村落の埋没・困窮、耕作地の壊滅、
   頻発した河川の大洪水等甚大な被害が発生した。
   近辺では、江の島の漁業や島内生活の困難、柏尾川や境川の埋積、河床上昇があった。
  〇 耕作地の土壌改良手法「天地返し」が行われ、土壌適応作物に転換し、復旧した。
  〇 もし、現代に同規模の大噴火が発生したら、交通機関がストップし、日常生活、産業活動に計り知れない被害・影響を
   与えることが予想される。等と詳しく説明し、「富士山は300年余沈黙しているが、活火山であり将来へあらゆる備えが
   必要である。」と結びました。

 

公開講座講師
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第258回講座「判明した玉縄城の全貌」

2019年(令和元年)5月12日(日)13:30~15:35 玉縄学習センター分室・第3集会室
参加者:46名 (会員 29名、 一般 17名)

講師:大竹 正芳 氏 (日本城郭史学会委員  日本画家)
講師は、自ら団長として携った2007年から2010年までの玉縄城祉の現地測量調査と、2015年に玉縄歴史の会と共同で行われた「くいちがい」(道筋が折れ曲がっている地形)と称する遺構の測量調査について進め方や結果(内容)を、形状・図面を板書しながら詳しく説明しました。その中で、
〇 現地は開発前の3分の1弱が残っており、思っていた以上に遺構が現存していた。
〇 「くいちがい」遺構については、「玉縄城址本来の地形であり、他に類を見ない貴重な曲輪」だ。
と強調し、「今まで漠然としていた玉縄城遺構の全貌がかなり判明した」とまとめました。
また、最後に講座内容の理解をより深めるため5月20日予定の当会主催の「玉縄城址見学歴史散策会」への参加を推奨されました。

 

公開講座講師
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第257回講座「木村 彦三郎「あ能(の)ころ」を読む」

平成31年4月7日(日)13:30~15:20玉縄学習センター分室 第3集会室
  参加者:36名(会員28名、一般8名)

※講師:添田 信雄 氏 (当会会員・世話人)
(補足解説 :平田 恵美 氏(鎌倉市中央図書館近代史資料収集室))

講師は『道ばたの信仰』などで著名な鎌倉の郷土史家・木村彦三郎が昭和51年(1976)頃に「鎌倉タイムス」に連載した随筆「あ能(の)ころ」を読み、昭和3年(1928)前後に「湘南ロッジ」を拠点にして反戦地下活動を行っていた社会活動家の一面を知り、大変興味を持ったことを披露し、解説がなされた。本講演を受けて、参加されていた平田恵美氏から同人の先達でもある「木村彦三郎氏の生い立ち、広い交友関係、鎌倉アカデミア創設話などなど」を、年代を追って補足解説していただき、木村彦三郎氏の人となりの理解を深めることができました。

 
 

第256回公開講座「玉縄地域、関連地域の武将たち」  

平成31年3月3日(日)13:30~15:13 たまなわ交流センター1階(NPO大船)
参加者:33名(会員23名、一般10名)

講師:佐藤 邦男 氏(郷土史研究家)
 講師は、天平年間から寛永年間までに及ぶ玉縄地域、関連地域の事象や主な武将たちの歴史的事績について年代を追いつつ解説しました。
特に玉縄城を築城した伊勢宗瑞及び同歴代城主と主な家臣団・玉縄北条一族の盛衰、鎌倉権五郎景政その他について、手元配付資料と貴重な回覧資料及び現地調査の体験談を交えて詳しく説明しました。

公開講座講師
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第255回講座「方位から見た大倉御所(試論)」 

平成31年2月3日(日)13:30~16:01 たまなわ交流センター1階(NPO大船)
参加者:43名(会員28名、一般15名)

講師:玉林 美男 氏(鎌倉市文化財課嘱託)
講師は講座の冒頭、「現在、大倉御所の推定地が私立清泉小学校の校地とその西側であるとの説が定説化しているが、検証はされていない。そこで改めて検証してみた。」と前置きをして、周辺の考古学的調査結果と『吾妻鏡』に記されている「方位」の観点とを論拠に挙げ、大倉御所の推定地を荏柄天神社下辺りとする仮説に基づく見解(試論)を説明された。
  なお、資料は「方位から見た大倉御所(試論)」(かまくら考古 第37号)を用いた。

 

公開講座講師
公開講座・風景
 

 

「平成31年度「玉縄歴史の会」定時総会」
第254回講座「写真で見る昭和の玉縄とその周辺」

H31年1月13日(日)13:30~15:35玉縄学習センター分室 第3集会室
  13:30~13:55「平成31年度「玉縄歴史の会」定時総会」参加者:会員31名
  14:05~15:35「第254回公開講座」参加者:35名(会員31名、一般4名)

(定時総会)
冒頭の関根会長の挨拶に続き平成30年度事業報告、同会計報告、同会計監査報告、会則の一部改定、世話人等の選出と退任世話人の報告、平成31年度事業計画について審議が行われ全会一致で承認された。
(第254回公開講座) 講師:関根 肇氏(当会会長)

講師は、冒頭に玉縄地区の歴史的変遷を概観し、その後、大正、昭和、平成初期の玉縄とその周辺の小学校、著名な施設・建物・橋・道路の状況、住民の生活の様子等を捉えた、講師が所蔵する当時の写真を示しながら変化していく地域社会と世相を分かりやすく説明された。
参加者は一枚、一枚の写真に強い興味を示し、その都度質問や驚きの声を発し、講師と対話するような場面もあり盛況裏に終了した。

 

第253回講座「『明治3年 城廻村村明細帳』を読む」 

平成30年12月2日(日)13:35~15:40玉縄学習センター分室 第3集会室
参加者:28名(会員23名、一般5名)

講師:平田 恵美氏(鎌倉市中央図書館近代史資料室)
   /小坂 勝代氏(当会世話人、古文書の会会員)/岩間 勝之氏(当会会員、古文書の会会員)

平田講師から「村明細帳」についての解説が行われた後、小坂講師が自宅に保管されていた「城廻村明細帳」の逐条読下しを行った。その後、岩間講師より当時の借金証文4種を読下し、解説された。なお、平田講師には全般にわたる解説もしていただいた。

 

253回講座講師
253回講座講師
253回講座講師

 

第252回講座「古墳時代の横穴古墳~いたち川流域の様相~」

H30年11月4日(日)13:35~15:45玉縄学習センター分室 第3集会室
参加者:38名(会員27名、一般11名)

講師:柏木 善治氏(かながわ考古学財団・調査研究部長)
古墳時代の終末期(西暦600~720頃)を中心に古墳と横穴墓の形態的特長、地域的分布状況、ならびに埋葬に関する
副葬品や線刻画の特徴などを解説の後、いたち川流域や洗馬谷横穴墓の状況につき詳しく解説された。

  

第251回講座「玉縄城と江戸湾の攻防)」 

 

H30年10月7日(日)13:35~15:50玉縄学習センター分室 第3集会室
参加者:41名(会員27名、一般14名)

講師:真鍋 淳哉氏(青山学院大学講師)
冒頭、伊勢宗瑞が相模に進出して玉縄城築城にいたる歴史と玉縄城の支配領域のひとつであった江戸湾沿いの水軍管理を背景に、
房総里見氏との激しい対立状況とそれに果たした玉縄城の役割・機能などにつき詳しく解説された。

 
 

第250回講座「鎌倉幕府の兵站基地『山之内荘本郷』」

H30年年9月2日(日)13:30分~15:30玉縄学習センター分室 第3集会室
参加者:38名(会員29名、一般9名)

講師:北条 祐勝氏(前光明寺住職、本郷郷土史研究会会長)
山之内荘本郷は元々一大穀倉地帯と製鉄工人集団が存在した地勢的な特徴を持っていた。初期の鎌倉幕府は糧秣・兵器の兵站基地としてその特長を生かし、かつ幕府の艮(うしとら)の方向に證菩提寺の前進である大寺を建立し、幕府鎮護のの宗教的要地化した。しかし、幕府が安定化するとその性格が変化していった。その経緯が詳しく解説された

 

 

第144回「玉縄城総構えの測量を終えて」

2019年(令和元年)5月20日(月) 09:30  清泉女学院正門前 集合
参加者:33名 (会員 19名 一般 14名)

案内人:大 竹 正 芳 氏 (日本城郭史学会委員・日本画家)
コース:集合後 → 玉縄城跡内(蹴鞠場・月見堂・諏訪壇)→ 大手口跡 → 太鼓櫓跡 → くいちがい曲輪(くるわ)・空堀り跡→「陣屋坂上」バス停(解散)

 

   
 

第143回「横浜市港南区永谷地区の寺社巡り」

平成31年4月17日(水)9:30大船駅南改札前集合
参加者:12名(会員11名 一般1名)

案内人:当会歴史散策チーム世話人・清田氏  貞昌院住職・源空哲也氏 
コース:大船駅 →(JR) 戸塚駅 →(バス)「日限山」バス停下車→「日限地蔵尊」→ 早駆けの道跡 →平戸永谷川遊歩道→「貞昌院・本堂」→「永谷天満宮」→ 地下鉄・「上永谷駅」(解散)

  

 
 

第142回「玉縄の古地名(小名)を訪ね歩く(その3)」   

H31年3月20日(水)9:30大船駅南改札前集合
参加者:19名(会員16名 一般3名)

案内人:関根 肇 氏 (当会会長)
コース:大船駅 →「玉縄台」バス停 下車→「せんば谷戸」→「鍛冶ヶ谷戸」→「石原谷戸」→「関谷インターバス停」(解散)

  

 
 

第141回「横浜市埋蔵文化財センターの見学」

平成30年11月19日(月)9:30大船駅南改札前集合
参加者:12名(会員11名 一般1名)

案内人:当会散策グループ、およびセンター学芸員 
コース:大船駅→JR港南台→バス停上郷ネオポリス→埋蔵文化財センター→バス停(解散)

  

 
 

第140回「光明寺資料館見学と證菩提寺宝物館拝観」 

H30年10月18日(木)9:15大船駅南改札前集合
参加者:18名(会員17名 一般1名)

案内人:光明寺・北条祐勝氏、證菩提寺住職、副住職
コース:大船駅→光明寺バス停→光明寺(本堂内拝観)→證菩提寺(本堂内、宝物館拝観)→稲荷森バス停(解散)

 

 
 

第139回「芦名淨楽寺の秘仏拝観と寺社めぐり」 

H30年9月18日(木) 9:30大船駅南改札前集合
参加者:18名(会員18名)

案内人:散策グループコース
コース:大船駅→(逗子駅)→淨楽寺バス停→淨楽寺(秘仏拝観)→前島密の墓→十二所神社→芦名城跡→淡島神社→淨楽寺バス停(解散)