【玉縄歴史の会とは】
 「玉縄」は、JR大船駅の西側一帯地域を指し、戦国時代に伊勢宗瑞(通称・北条早雲、小田原北条氏初代)が築いたとされる「玉縄城」を中心とした独自の史実と、鎌倉の旧市内とは異なる歴史風俗を持った地域です。
 このような地域の歴史等を研究するため、当会は「玉縄の歴史を語る会」として、平成10年(1998年)1月に発足しました。以降、玉縄のみならず周辺地域の歴史等を研究・学習し、その成果を若い世代へ語り継ぐことなどを目的に「玉縄歴史の会」と名称を改め、25年以上の長きに亘り活動を続けています。
 
発足年月: 平成10年(1998年)1月 ※今年2024年で発足26年を迎えました。
登録 鎌倉市市民活動センター(NPOセンター)登録№269
会員数 51名(令和6年(2024年)9月1日現在) ※新規ご入会をお待ちいたしております。
代表者 会長(第4代):土田 真路(つちだ まさみち)
会費 年 3,000円 ※1月入会の場合です。年途中での入会の場合は、月割額を頂戴いたします。
 
【玉縄城とは】
 「玉縄城」は、永正9年(1512年)に伊勢宗瑞(通称・北条早雲)が玉縄の地に築いたとされており、現在のJR大船駅西方、現在の鎌倉市城廻や植木にあった戦国期の典型的な山城である。
 三浦氏に対する抑えの城として重要な拠点となり、初代城主は北条氏時(宗瑞の次男、氏綱の実弟)となる。以後は、為昌、綱成、氏繁、氏舜、氏勝と伝えられ、天正18年(1590年)4月、豊臣秀吉の小田原攻めの際、徳川家康により包囲され、不戦開城となった。後に、城は水野忠守に預けられたが、元和5年(1619年)一国一城令により廃城とされた。
 現在、城跡に清泉女学院があり、諏訪壇が土塁とともに残り、周囲に曲輪などがある。城を守る支城的な砦として、「長尾砦」「二伝寺砦」「高谷砦」「おんべ山砦」などがあった。
 
 【参考図書】
  玉縄の歴史と文化~玉縄風土記~:平成26年(2014年)玉縄歴史の会発行
  神奈川県百科事典 557頁「玉縄城」 伊藤一美 氏 執筆:1983年(昭和58年)大和書房発行
 
【定例会・公開講座】
開催日時: 毎月原則として、第1日曜日の14:00~16:00
会場 玉縄学習センター分室・2F-第3集会室(JR大船駅西口から藤沢方面に徒歩約3分)
※会場抽選の結果によっては、玉縄学習センター(岡本・玉縄行政センター内)の場合もあり。
内容 玉縄城や周辺地域のみならず、歴史テーマを幅広く求め、会員の研究成果を発表し、相互学習を行う。
または、地域の郷土史研究家などの専門家を講師に招いて学習している。
参加費 無料(但し、資料代として、会員:500円、一般:1,000円)
 
【分科会】
歴史散策会
 春と秋の2回、玉縄や周辺地域の歴史的な遺跡・遺構および寺社などを実地に見学しながら学習しています。案内・解説は会員自らが行うか、その地域に詳しい専門家を招いて行っています。
 
古文書の会(現在は会から独立)
 玉縄や周辺地域の旧家に所蔵されている古文書の発掘活動、およびそれらを教材として、毎月1回(第1または第3火曜日)、講師・平田恵美 氏の指導を受けながら解読を行い、郷土の歴史を学んでいます。
 
<定例会・公開講座> <歴史散策会> <古文書の会>
 
【その他の活動】
地域の歴史や伝統を次世代につなぐ
 古くから地域に残されている資料や古文書類、地域の風俗・習慣、ならびに寺社や地名などの由来、また地域の開発の歴史などを集大成し、主に出版物として残して次世代につなぐ活動を行っています。
  
玉縄地域へのイベントへの参画
 毎年開催される「玉縄まつり」に出店・参画しています。また、平成24年(2012年)に玉縄地域を挙げて盛大に実施された「玉縄城築城500年祭」事業に協賛するなど、本会の活動をPRするとともに、玉縄地域の歴史や伝統などを地域住民に伝承していく活動を続けています。
  
地域への奉仕活動
 会員有志で玉縄城所縁の諏訪神社の清掃奉仕活動を定期的に行っています。今後、更に活動範囲を拡げていく予定です。